ISBN:4106100525 新書 石澤 靖治 新潮社 2004/01 ¥714

イラク戦争なんかで非常にメディアの持つ力と、バイアスのかからない情報を手に入れることの難しさ、バイアスのかかった情報が溢れる中で客観的な事実を求める難しさを感じる今日この頃。

日本は世界のメディアでどう報じられているのか。メディアを通じて世界の人々が接する日本とはどのような姿なのかを、現地のスペシャリスト(だと思う)人たちが解説した本。

具体的にはイギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、アラブ世界、中国、韓国におけるメディアの日本報道が紹介されている。
当たり前だが、各国メディアが報じる日本と、われわれが普段日本に住んでいて接している日常はイコールではない。
特に歴史認識におけるずれはどの国においても大きいように感じる。

私が特に興味を持って読んだのは中国と韓国。
歴史認識の違いから摩擦を繰り返している印象があるし、これらの国で「こう報道された」と日本メディアが報じる内容にも大きく違和感を覚えるのがこの二つの国だからだ。
完全な戦後世代で、親の世代でも戦争経験がないのが私の世代。
となると、日本国内でもさまざまな言論があり揺れている戦争の歴史観なるものを、私はどう持っていいのかすら分からないのが現実だ。
ところが中国や韓国ではしばしば過去の戦争が引き合いに出されて反日感情を煽るような報道がされる。

別にそのこと自体が悪い(決して良いとは思わないが)と批判したいわけではない。
情報にバイアスがかかることは、情報の発信者が人間である限り仕方のないことだ。
であればこそ、日本と言う国をどのように見てほしいのかを自分たちできちんと把握した上で、情報発信の仕方を工夫し、間違った報道がされているのであれば訂正していく努力を重ねなくてはならない。

不況を言い訳にして、いつまでも内向きになっている場合ではない。今こそもう一度、日本が世界でどういうポジションに置かれているのかを確認する必要がある。自分が思うほどには、他人は自分のことを思ってはいない。それが世の常である。さりとて自らへの過小評価も道を誤らせる。大事なのは「世界という鏡」に映った自らの等身大の姿を知ることだ。すべてはそこから始まる(p.9)


「日本」を「自分」に、「世界」を「社会」あるいは「世間」「会社」と言う風に置き換えても通じる一文だ。
欧米式個人主義にそのまま倣うことが、日本人になじむとも良いとも思えない。日本には日本で培われてきた長い歴史と伝統があり、島国で育まれた国民性もある。
私たちは日本という国がどうあるべきか、国際社会の中でその再定義や再確認が必要な時期を迎えているのかもしれない。

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本当は、メディアの報道を鵜呑みにする危険性を再確認しておきたいな、と思って、友人のBlogで進められていた
●情報操作のトリック―その歴史と方法 (川上和久)
●メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (Noam Chomsky)
あたりを読もうかと思ったのに脱線して読んでしまった。
小学校・中学校時代にアメリカで過ごて、日本と言う国を外から見るという貴重な経験をしたのがもう15年ほど前。
当時「日本にはサムライやニンジャがいるんだろう」とか「原爆を投下してアメリカは本当に良いことをした。あのおかげで日本の更なる暴走を防ぐことが出来た」とか、日本人からすればなんだそりゃと思うような言葉をたくさん身近な友人や先生から聞かされてショックを受けたが、今でも世界中で(大きなものから小さなものまで)無数の誤解や認識の違いがあるに違いない。
で、そんな誤解や認識の違いの一端を垣間見ることができた一冊でした。

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